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泉屋博古館分館
住友コレクション泉屋博古館分館
〒105-0032 東京都港区六本木1-5-1


明治 150 年記念

華ひらく皇室文化

明治宮廷を彩る技と美

 明治時代 (1868-1912)、諸外国との外交のために皇室では洋装を採り入れ、洋食にて外国使臣をもてなしました。 その舞台は、延遼館、鹿鳴館そして明治宮殿へと移り変わります。 宮中晩餐会の食器やドレス、ボンボンニエールなど華やかな宮廷文化をご紹介します。
 また、明治皇室は伝統文化の保護を提唱し、「帝室」 (皇室) が 「技芸」 (美術) の制作活動を奨励する 「帝室技芸員」 制度が誕生します。 美術界の最高の栄誉とされた彼らの作品は、日本文化の象徴として海外でも賞賛されました。
 明治 150 年、そして新時代が幕を開ける今、明治皇室が守り伝えようとした日本の技と美をご覧いただきたいと思います。 (会期中、作品を展示替えがあります。)


会期: 2019 3/16(土)〜5/10(金)
展覧会は終了しました。
《前期》= 3月16日(土)〜4月14日(日)
《後期》= 4月17日(水)〜5月10日(金)

開館時間:10:00〜17:00 (入館は16:30まで)
休館日:月曜日 (4月29日、5月6日は開館、4月30日、5月7日休館)、4月16日(展示替え)
会場:住友コレクション 泉屋博古館分館 (東京・六本木)


泉屋博古館分館と学習院大学史料館の両会場で共に開催!

 明治維新の後、日本国内各所様々な面で変化が起こりました。 皇室も例外ではなく、その生活は大きな変革を余儀なくされました。 諸外国との外交のために、皇室では洋装を採り入れ、洋食にて外国使臣をもてなします。 その舞台は、延遼館、鹿鳴館、そして明治宮殿と移り変わります。 そのような西洋文化受容の中でも、ドレスには日本の刺繍を施し、下賜品には日本の伝統工芸品を用いるなど、伝統文化や職人技術の保護育成を重要視していました。
 明治 150 年、そして新時代が幕を開ける今、明治皇室が守り伝えようとした日本の技と美をご覧いただきたいと思います。

会期: 2019 3/20(水)〜5/18(土) 展覧会は終了しました。
開館時間:10:00〜17:00 (入館は16:50まで)
休館日:日曜・祝日・ 5 月 1 日(水) 特別開館日=4 月 14 日(日)
※4 月 30 日(火)・5 月 2 日(木) は開館

会場:学習院大学史料館 展示室 (北 2 号館 1 階)

 

'2019 3_15 プレス内覧会の会場内風景と展示作品です、画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

華ひらく皇室文化

【明治150 年記念】
華ひらく皇室文化
「鹿鳴館の時代と明治宮殿―明治宮廷を彩る技と美」
プレス説明会 & プレス内覧会 '2019 3_15
住友コレクション 泉屋博古館分館


新時代が幕を開ける今、改めて明治の文化力を感じる。

泉屋博古館分館と学習院大学史料館の両会場で共に開催!


【展覧会の概要】 ―明治 150 年記念 「華ひらく皇室文化 」 図録、プレス説明会、資料他からの抜粋文章です―

 慶應 4 年 7 月、江戸が東京と改まり、8 月に京都御所で新天皇の即位式があり、9 月に年号が慶應から明治と改まった。 同月 20 日、明治天皇は東京行幸の途に就き、10 月 13 日東京に到着した。 12 月には京都に向けて東京を発ち、孝明天皇の三年祭、そして一条美子 (昭憲皇太后) との成婚など、過ぐる 150 年前、明治元年という年は慌ただしく暮れたのである。

【シンポジウム】
「華ひらく皇室文化―明治宮廷を彩る技と美―」 展
関連シンポジウム・第 88 回学習院大学史料館講座

・日時: 2019 年 4 月 27 日(土) 13 時 30 分〜16 時 30 分(予定)
・会場: 学習院創立百周年記念会館 正堂
・内容:
・第 1 部 「華ひらく皇室文化―明治宮廷を彩る技と美―」 を各分野より語る。
・第 2 部 討論 「明治の美術工芸と皇室の果たした役割」
・講師: 彬子女王殿下・小松大秀氏・長崎巌氏・野地耕一郎他
・入場無料: 事前申込不要・当日先着 700 名


'2019 3_15 プレス内覧会の会場内風景と展示作品です、画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

【 鹿鳴館の時代と明治宮殿 】
 明治天皇が東京に居を移されたあと、明治政府は天皇の権威のもと、近代国家構築のため、鉄道や通信などの整備を行う、いわゆる文明開化である。 明治 16 年(1883)、外務省で計画され、来日した教師ジョサイア・コンドルが設計した洋式レンガ造 2 階建ての文明開化を象徴する建物が、鹿鳴館であった。 国内外の貴顕や政府高官らが集まり夜会や舞踏会が繰り広げられ、外務卿井上馨らは外交の場として利用した。
 明治 6 年 5 月に炎上した皇居(旧江戸城) に代わる新たな宮殿が、明治 21 年、約 5 年を費やして明治宮殿が竣工した。 同 22 年に明治天皇は新宮殿に移られ、大日本帝国憲法発布式を最初として、本格的に国政の中心の場として明治宮殿の使用が始まった。 明治宮殿は外観は伝統的和風の木造建築、室内は洋風の和洋折衷の洋式で、総建坪約 42,000 uに及ぶ壮大な宮殿であった。 (昭和 20 年 5 月に焼失)
鹿鳴館、延遼館、明治宮殿は、新たな展開をみせる、近代日本の象徴でもありました。

「正餐用食器・銀器」有栖川宮家所用

・No.16 中礼服 北白川宮妃房子 着用(独立ケース) 明治末期 (20 世紀) 霞会館
・No.17 正餐用食器・銀器 有栖川宮家所用 明治 20 年(1887)頃 上野の森美術館保管 / 花盛器 昭和 5 年(1830) 高松宮妃癌研究基金 / 正餐用食器・銀器のうちカクテルピックスタンド 有栖川宮家所用 明治 20 年(1887)頃 上野の森美術館保管
 左・No.16 北白川宮妃房子着用の 《中礼服》 は、薄いクリーム色の絹紋綾地に薔薇の花が織り出され、スパンコール・ビーズ・金糸による装飾がなされている。 スクエアの襟元には白のレースが付き、袖先にはビーズがあしらわれる。 皇族妃に相応しい豪華なものである。 このドレスは 《大礼服》 のスカート部分と同じ生地で仕立てられており、房子妃が内親王時代に制作された可能性もある。 中礼服は宮中の晩餐会や夜会に着用された。
 右・No.17 有栖川宮家所用 正餐用食器・銀器 有栖川宮家から高松宮へ受け継がれ、そののち長く高松宮の公式正餐に使用された。 宮中正餐用食器と同様に、19 世紀に発注制作された様式とセットが現在まで踏襲されている。 食器の製造は、明治 11 年(1878)パリ万博で金賞を受賞した 「AD アッシュ・アンド・ペパン・ルアール」 社など少なくとも 2 社が行っている。 食器、銀器、グラス類すべてに有栖川宮家の紋が入るが、食器の紋は、製作とは異なる場所で上絵付けされた可能性が高い。



V 内国勧業博覧会と春翠

【 明治宮廷を彩る技と美 】
 古くから皇室は我が国の伝統文化を保護育成してきが、明治維新に伴う混乱でいったんは衰退した美術界を奨励し、発展させるのに果たした役割は極めて大きい。 欧化政策に伴う殖産興業の一環として、国内外の展覧会、博覧会が盛んに開催され、明治天皇をはじめとする皇族の行幸啓や宮内省による作品買い上げは作家たちに活躍の機会を与えました。 また、宮中の儀式や住まいの装飾、慶事に伴う贈答品などの調達というかたちで美術界を盛り立て、作家たちはその光栄に浴し、大いに励まされたのです。
 明治 23 年(1890) に始まる帝室技芸員制度は皇室と日本の近代工芸との関係を強くし、明治 33 年のパリ万国博覧会においては、帝室技芸員に作品の制作が下命されることとなりました。 帝室技芸員は皇室のための美術品制作とともに、技芸に関する諮問に応じ、技量・人格ともにすぐれた人物が選ばれるとして、美術・工芸界の最高の栄誉と見なされた。 この制度は 「帝室」 (皇室) が 「技芸」 (美術) の各分野の作家活動を奨励する象徴となり、昭和 22 年(1947) に廃止されるまでに計 79 名が任命されました。

鶴亀形ボンボンニエール

・No.64 《神鹿》 竹内 久一 大正元年 (1912) 1 躯 総高 47.9 東京国立博物館
【ボンボニエール 《鶴亀形ボンボニエール》 明治 27 年(1894) 3 月 9 日 個人】

 左・No.64 《神鹿》 竹内久一は浅草生まれで、12 歳で堀内龍仙のもとで牙彫を学んだ。 明治 22 年(1889) 東京美術学校が開校する際、最初の彫刻の教諭となり、明治 39 年には、帝室技芸員に選ばれている。 久一は、古彫刻の模刻の際、原作にわずかに残る彩色を厳密に写し取っていくなかで、木彫彩色の技を磨き、彩色彫刻の分野でも高く評価されるようになった。 本作は、当時の帝室技芸員 13 人が帝室博物館に寄贈した作品のうちの一つで、久一の彩色彫刻の代表作である。
 右・【鶴亀形ボンボニエール】 周到な準備がなされた明治天皇の大婚祝典の饗宴に招かれ陪席した 621 人には、従来の銀杯ではなく 「蓋に岩上の鶴亀を付した銀製菓子器」 が配られ、立食の宴に参加した 1208 人には、 「鶴亀の彫刻ある銀製菓子器」 が配られた。 明治 22 年(1889) の大日本帝国憲法発布式にも菓子器が配られているが、意匠を決めて皇室から発注制作されたのは、この祝典が嚆矢であり、まさに皇室デザインのボンボニエールの始まりである。 ボンボニエールとは、皇室・宮家などの慶事や饗宴の際に配られえる、引き出物としての意匠を凝らした銀製の菓子器で、 ヨーロッパでは祝い事の際に砂糖菓子 (bonbon) が配られ、容器をボンボリエール (Bonbonnière=仏語) と呼ぶことから、日本でもその名称が使われるようになった。



住友春翠 (1884〜1926) SUMITOMO SHUNSUI (バロン住友)

 住友家15代当主。 現在の住友各社の前身を次々に起業、大正 10年 (1921) 住友合資会社を設立した。 また大阪府立中之島図書館、大阪市立美術館の敷地を寄附するなど文化社会事業にも貢献。 芸術家支援や幅広い美術収集でも知られる。 京都の公家徳大寺公純の六男で、明治 25年 (1892) 住友家に入り吉左衞門友純を名乗った。 徳大寺家は平安時代から続く清華家のひとつで、長兄には、明治天皇の侍従長を務めた徳大寺実則、次兄に内閣総理大臣を歴任した西園寺公望がいる。


主催:公益財団法人泉屋博古館、毎日新聞社
   共催:学習院大学史料館
企画:華ひらく皇室文化展実行委員会
協力:一般社団法人 常磐会


TEL:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
美術館公式サイト:http://www.sen-oku.or.jp

〒106-0032 東京都港区六本木1-5-1
住友コレクション 泉屋博古館分館

主催:学習院大学史料館
   共催:泉屋博古館分館、一般社団法人 霞会館
企画:華ひらく皇室文化展実行委員会
協力:学校法人 学習院、一般社団法人 常磐会


TEL:03-5992-1173
美術館公式サイト:http://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua

〒171-8588 東京都豊島区目白1-5-1
学習院大学史料館


参考資料:展覧会概要説明会、プレス内覧会、【明治 150 年記念 『華ひらく皇室文化―明治宮廷を彩る技と美』】 図録、Press Release、チラシ他。


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